不当とか不幸とか。
もし、僕らの隣人が潜在的テロリストだったら、どう共存すればいいのだろうか? - どんなジレンマ
人が不幸になるのは見たくない。物語の中以外では*1。
自分で自分を不幸だと認めなければ、人は不幸にはなれない*2。幸せって概念は主観に大きく拠ってる。だからまぁ、逆に言うと本来的な意味での「勝ち組」のようなおめでたいケースも出てくるわけで、そういう時は皮肉として「これはこれで幸せかもしれんね」なんて言葉が浮かんできたりもする。だから決して「気の持ちよう」なんてことを言いたいわけじゃない。
人が不当な立場に置かれた時、その不当な立場を「不幸」として飲み込んでしまうことが私にはツラい。そんでもって、それによって不当さの肯定が生じて連鎖している気がするんだよなぁ。私もしんどいんだからおまえも我慢しろ、なんて具合に。同様に不当な境遇を「これは不当ではない」と納得してしまうのを目の当たりにするのもしんどい*3。
不当であると異を唱えること、不当な待遇から公正に利益を奪還する、もしくは何らかの形で補填し不運や不遇から回復すること、不幸からの脱却を私は是であり理想としたいので、不当の連鎖を私は肯定しない。
必要なのは傷の手当てをすることで、誰もが傷を負うことではないはずだ。
不幸と幸せのグラデーションとか、不当な目に遭わなくても不幸は成立し得るとか、色々考えたけどとりあえず省いた。
エースコンバットの6をクリア。
面白かったけどストーリーは少し物足らないなー。
やっぱりZEROと04のシナリオがどうしようもなく好きだ。
04もZEROも、かつて傍らにいた人間が「彼」について回想と共に語るという構図は苦くて甘くて感傷的。その感傷が物事を美しく見せてるし、語り手が持つ「彼」への美化フィルターの所以を勘繰れるのも面白い。ZEROでの各エース達の語り口もやはりどこか(複雑な)感傷が滲んでて、各人が「彼」「奴」とどのように戦ったか、何を思いながら戦ったかを語っていくところが巧い。ウィザードの人もあれはあれで思うところあって結構好き。
ZEROは各所の演出手法もすごく好きだったな。エンブレムと白抜きの文字が、敵エースたちの登場場面で入るところは美しかったし燃えた。ZEROでの各撃墜王達との対峙は、「才覚あるもの同士の真剣勝負」という面を大きく打ち出していて、各々の戦う理由はどうであれ敵として戦場で相見えた以上勝敗が決するまで容赦はしないという「戦士の理屈」が物を言う場面だった。その決闘の彩り方としてあのカットインは本当にカッコよかったなぁ、と思う。
6は大規模戦闘がウリなので、そういう昂揚感はなかったしなー。その分、一斉攻撃の爽快感が楽しいんだけど。電子支援機万歳。
機銃の音が作を重ねるごとに怖くなってきてるのでなかなか心臓に悪くて楽しい。今回は高射砲食らった時の重い衝撃音もかなりキた。
支援システムや偏差射撃はすげー面白いので今からやりこむ。
それにしてもミサイル搭載数320とかって、どんな四次元格納戦闘機かと。
生き物色々。
今年の春頃、どこかに出かけたいと言う欲求がふと湧き上がって、しかしそのくせ懐は春に程遠く極寒の地であったため、そのまま東京でふらふらしてきた。
何となく猫を追いかけたかったので(猫に嫌われるタイプだと言うのに)、猫が多くいると聞いたことのある谷中、千駄木、根津のあたりを一日歩いたり、早朝の築地場内に潜り込んだり、漱石一門萌えの友人に感化されて本郷をふらふらしたり、ジョサイア・コンドルの建物をめぐってみたりと数日暢気に過ごして、最後に無性にお好み焼きともんじゃが食べたくなったので月島へ向かうことにした。
月島も谷根千並みに猫が多かった。
車の通れない細い路地が多いせいだろうか。
根津では猫を抱えてるおじさんに話しかけられて「かわいいですねー」と言ったら*1、「うん、前にまた一匹生まれたんだ。見たいかい?」と訊かれ、頷いたところ両手の中にすっぽり入るくらいの仔猫を連れてきてくれた。*2
「あげるよ」と大変軽い調子で言われたのが衝撃だった。
一応名目上旅の途中だったので、勿論丁重にお断りしたのだが、近頃家に鼠が出るようになったので今になってあの子に一緒に来てもらえばよかったかなぁと考えたりしている。
その日は暑くて、犬は思い切りだれていた。
子供に囲まれてもぴくりともしない。かなりお歳の犬だったのかもしれない。
そんなこんなでしこたま歩いてお好み焼きともんじゃもたいらげて、アルコールも程好く回したまま月島の街を徘徊していたところ、ヤツに出くわした。
しかもかなりゆっくり目とはいえ飼い主の歩調に遅れることなくのっしのっしと歩いていく。
思わず唖然と見送りそうになって、はたと気付き急いで写真を撮らせてもらった。
ケヅメリクガメというそうです。あぁー、ビックリした。家に戻ってから調べてみたところ、月島の結構な有名カメであるらしい。
私はよく旅先から絵葉書を友人に送るのだけど、あとは投函するだけの絵葉書に慌てて追伸で「カメ!カメがいた!! カメすごい!!」と書き足して送ったところ、わけがわからないから説明しろと帰還後にメールが来てた。そらそうだ。
陰謀論を唱えてみる。
とか言いながら、話はいきなりしょーもない方向に思い切り変わるのだけど。
なんだか「家族団らん法」のあたりから現実がbogusnewsを超えつつあるので、「主幹も大変だなぁ」と面白がりながらもある意味気の毒に思っていたんだが、その後の動向を経て例のスパイ発言まで受けてみるに、ふとある考えがよぎった。
もしかしてbogusの主幹はコズミック・フォージ*1を手に入れてしまったのではあるまいか。
世界はbogusnewsの主幹によって操られている!*2
日本bogus化計画*3。
それはともかく、現実が風刺を追い越してしまった時に生じるこの破壊力はどう形容すべきなのか。トンデモソニックブーム、略して「と」ニックブームとでも呼ぶべきか。
*1:あのくそったれのくされペン! http://www8.atwiki.jp/storyteller/pages/51.html
*2:デスノート説もあるようだが、私としてはこのスケールとしっちゃかめっちゃかさを鑑みてコズミック・フォージ説を唱えたい。ウソです、単なる趣味です。
*3:○○もあるでよ〜、とお約束の注釈入れたかったけどうまいものが思い浮かばなかった。